年末のぼやき

一年が終わろうとしています。この一年間はどんな日々でしたでしょうか?あっという間にやってきたという方が大半なんではないでしょうか?そうです。あっという間なんです。人間の寿命なんてものは。僕も不動産業に携わりぼちぼちの期間が経過しましたが、まだまだです。不動産業を極めるには時間がかかります。不動産業というのは職人です。一は全、全は一というやつです。価値を見出し、時には自分で磨き上げ市場に判断してもらうという職人的な動きをします。こうやって自分の気持ちを整理するためにブログを描きしたためていますが、言っときます。僕は物書きというのが嫌いです。なんかつまらないし、でも物書きというのは無から有を作り出す。鬼人。我々と一緒。少なからず才能というポテンシャルがもろに実績に影響する仕事は職人職と言わざるを得ません。僕は凡人です。天才とは思わない。でも生きている限り、この世に生を得たからには何かを残したいと考えているのは事実。何かを残したい。その気持ちがずーっとくすぶっている。一日が早い。とてつもなく。すぐに暗くなり、また眠りにつく。そんな日々が続くと不安になる。自分はなんのために生まれたのだろうかと。友と過ごす。酒を浴びるほど飲む。女と遊ぶ。旅行する。そのときは楽しい。でも、魂はうずいている。求めているのはこれではないと。そしてまた不安になる。なんだったんだろうか。あの純粋に強さを求めていた時期は。強さに最初は憧れた。武道を習い、スポーツに打ち込んだ。辛かった。でも耐えれた。自分の成長が嬉しくて、また強くなりたいと思った。そこに派手さや優雅さはない。でも、魂は充足していた。喜んでいた。その時の経験値が大人になり、自分の礎になった。色濃く自分の中の遺伝子として爪痕を残している。類まれなる経験値が他人を惹きつけるのも大人になってから知ったことだ。僕の尊敬する経営者、孫正義はこういう。脳みそがちぎれるまで考えることだ。自分の夢やビジョンを定めないで、登る山を決めないで生きる人生というのは人生という名の迷路に彷徨うに等しいと。その通りだと思う。今になって思う。この魂の焦燥感が教えてくれる。魂を燃やして物事に打ち込まないと突出的な結果を出せるわけがない。僕はこう思う。人生をかけて登る山を考えに考え抜いたら、登り始める。ここまでは孫さんと一緒。でもここからが僕の持論。もし、登っている山が極める過程で違うなと感じたら、すぐに辞めればいい。そして、また違う山を見つけて登りはじめよう。それが人生だと僕は思う。名の通り、天才というのは一つの見つけた山を初志貫徹で登頂できる人間なのかも知れない。でも僕は違う。僕は僕。ただ誰一人の替えもきかない、僕の人生。登ってやるさ。

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