モテるための金稼ぎ?自分に自信をつけるための金稼ぎ?それとも?

買取再販営業の日々

伯です。今日は不動産買取営業マンとしてではなく、男としていい女を抱きたい、いいものを身に着けたいと常日頃思っていることを書いていこうかなと。見て何も得られないダレトク記事です。後半はテンション上がってきて、タイトルから趣旨ずれていくのでよろしくお願いいたします。

若いうちはつまるところ、モテるために稼ぐって部分あると思うんですよね。誰だって異性にはモテたいし、そういうモチベーションって大事です。自分の欲求を素直に表現するのは素晴らしいことなので。

お金があれば、いい時計が買える。いい車に乗れる。いいところへ住める。全部自分への栄養剤です。でも、結局は仮初なんですよね、自分に自信がないことを隠しているだけのことに後々気づいたりします。

自分がそういうものに気づく瞬間って何種類かあると思うのですが、僕の場合は主に3パターンだった気がします。

自分より圧倒的に稼いで金なんて要らないって人に会った時や、本当に自分の人生をやりたいことに時間と情熱を注いで頑張っている人。テコでも動かないスーパー美人を口説いているときなどですね。仮に人にはその人自身の価値を図るエネルギーの尺度があったとして、例えばその価値尺度をオーラ量という言葉で言い換えたとしたら、

そのオーラ量が尋常じゃない人に会った時って感じが正しい気がします。これはね動物的勘というかなんというか会えばわかるって感じです。例外なくそういう人に備わっている力として、自分の使命みたいなのを背負っているんですよね。命の時間が限られているということを常に傍らに置いて意識しているからこそ、そういう境地へいけるんだと思うのですが。。

そういう人に会った時に仮初の飾りで固めた自分を見て、吐き気がしてきて自分のやるべきとは?みたいな問いにまた戻ってきたりします。人間は過ちを犯す生き物だと歴史の偉人や先人はいいますが、僕の場合は間違えすぎて困るぐらい。その時はそうだ、ちゃんと生きなきゃって思っても、少し時間が経つとまた前の心持ちの感覚に戻っていたりするんですよね。

つまるところここに成功への本質が詰まっているのかな?と思っています。人生をどう生きたいのかっていう問いの前では、いいもんを身に着けたい、いい女を抱きたいという欲求なんぞ、クソみたいなものなんですよね。そんなクソみたいな欲求に本気を注ぐから益々人生に迷っていくと、、、あくまでそういうのは過程であり、最終目標ではないのです。そんな生活がいいに越したことはないけど、薬と一緒に扱う分量間違えると破滅に追い込んでいくものなので。

そういう人に会って自分の心が揺らぐ自分を感じて分かったことは、そうだ、俺はこういう風に人生を生きたいのだってこと。だからこそ、その道で全力で生きているひとに対してすごい心が揺らぐのだってこと。自分もこう生きたい。命を燃やしたいとのだと。

反対に言えば、そういうオーラがない人に関しては無関心なんですよ。いくら稼いだとか、だれだれと付き合っているいい女みたいなのは西麻布とかいけば死ぬほどいますからね。

今日もこのブログを書いていて思うことは、他人がいるからこそ、自分の生きる道やビジョンが明確にできるってこと。よく他人と比べるな、自分と比べろっていう人がいるけど、ぶっちゃけ世界に人間が自分一人だけならそんな問いなんて生まれないと思うんですよ。他人がいるからこそ、自分の足りないところや目指すべきものがわかる。だからこそ、他人に感謝しなくてはならないってのが僕の考え方ですね。君がいるからこそ、嫉妬を感じることができる。悲しみを感じることができる。笑うことができる。怒ることができる。羨むことができる。自慢することができる。いい人生を見つけることができる・・

すべて他人がいるからこそ、自覚できる気持ちです。さー今日も感謝を胸に生きていきますか。

タイトルとURLをコピーしました